その日その日を平穏に過ごせることが宝ものだと争いごとや災害のニュースを見る度に、鍋釜を洗える毎日が、本当に宝物だと感じます。
「むなしい」がちょっぴり笑えますが、その空しさが子供たちが成長した時、何倍もの充実感になって返ってきます。
自分のお母さんも同じように肉以外のものを「好き」と言って食べていた思い出のある方は多いでしょう。親というものは本当にありがたいです。
せめてお肉だけは「和牛」と行きたいところですが、最近は輸入肉も研究されて美味しくなっています。
あの頃はお金がなくて「こころばかり」でしたが、今はそうではない自分を見つめて感慨にふけっている作者の心が伝わってきます。
下五の「指ばかり」に作者の気持がこもっています。
お鍋の中でも隅っこがやっぱり落ち着くんです。
独り鍋だからこそできる好物ばかりの鍋を満喫。
家出するときでもお鍋を全部磨くお母さん。ありがたいですね。
大きい鍋でわいわい食べるのがいいんですが・・・。
噂と愚痴が薬味というのにリアリティーがあります。
少しはお肉もあったほうが良いような・・・・
鍋を囲んで話し合って欲しいときが多々あります。
無言で鍋を磨いているお母さん、近寄りがたいです。
大勢で取り合いっこして食べるお鍋、これが美味しいんです。
火にかけるお鍋が無くなってしまうのは淋しいですね。
圧力鍋、便利ですよね。これを句にする着眼が鋭い。
自分はまだ食べてないぞ。これは大問題です。
三丁目の夕日に照らされる風景ですね。
どんなメニューなのか覗いてみたいですが。
これもどんな知恵なのか教えて欲しいですね。
もめているのは、どれから食べようか迷っている自分です。
清く貧しく正しい生き方だったと拝察します。
色んな食材がてんこ盛りのお鍋、美味しそうです。
ちっぽけな肉が、これまた美味しいんです。
メタボが言い訳というのが本音でもあり笑えます。
こういう家庭には虐待はありません。
猫舌なのに我慢したんだ、「最後まで」が笑えます。
もうあとはやるしかありませんね。
「ちょっとピリ辛で」なにかあったのでしょうか。