戦後、74年の歳月は途方もなく遠い。しかし、錆びた米櫃だけは今も戦争を物語る。
収穫を祝う笛、太鼓の音を風が運んでくる。新米のとぎ汁も祭りを祝って香り立つ
夜星朝星を仰いだ篤農家が確かにいた昭和。まさに足音の数が米を育てた時代が確かにあった。
一握りの米に泣いた、笑った昭和。腹いっぱい飯を食うことが夢だった昭和の子どもたち。
あの頃を竹の子生活といった。何もかもお米に化けた。人の心さえも売らねばならない人さえ。
月日を数えてくれる米びつの米の量。残り少ない米が「もうすぐ新しい年ですよ」。
実りの秋の案山子は忙しかった。小鳥たちを追い農夫の話相手もした。稲刈り済んで淋しい案山子。
「パンのみに生きるにあらず」とはいうものの明日のパンを案じて生きるのもまたしんどいものだ。
決して多弁とはいえない父。年に一度。この時期に手塩にかけた父の米。そのものが父の語り。
たまの旅。ホテルの朝食はごはんに味噌汁。そういえば若い女性はパンにサラダとコーヒーと。
何の変哲もない日々の繰り返しのようだが子のこと、ご近所のこと思い煩うことの多さよ。
一年に一度の墓参り。この時期、今年の作柄はどうだったのだろうと思いながら手を合わす。
新米の感謝はまずご仏前に。こうして働けるのもご先祖さまのお陰。こうして受け継ぐ田畑もそうだ。
実りの秋。波打つ黄金の輝き。これも豊作に一役買った案山子さんのお陰でもある。
一粒を大切に、とは親から子への言い伝え。米粒に宿るのは神や佛、そして農の魂も。
米どころだったふる里。あの炊き立ての米の香りはまさしく父と母の香りでもある。
今日は運動会。父さん、母さんそして園児の手の大きさがおにぎりの大きさ。
八十八の手数が要るという米作り。送られた新米に一つの手抜きもない。育ててくれた自然にも感謝。
一合の米さえあれば明日を夢見ることができる。一合の米の可能性は無限大。
栄養を欲しがるのは体も心も。どんな明日が待っているのだろうと思い描きながら米を研ぐ。
尋常ではないこの頃の暑さ。暑い日はそうめんとは限らぬ。逆転の発想で暑気払い。
年金日に満たしておいた米びつ。そこが見えた米びつが年金日を教えてくれる。日々是好日。
生後100日目のお食い初め。幼子の赤い口に残る銀舎利の白に成長を祈る父と母たち。
母の形をした母の握り飯。人の体温が伝わる握り飯。指にくっついた飯粒を口で拾いながら。
循環型社会だった稲作。もみ殻はリンゴを包み稲わらは注連飾りや米俵、そして縄にも。
いつからだろう食がこんなに細くなったのは。行動範囲も限られてきた。二合の米に問いかける。
青田風を全身に受けながらつくづく思う。水害などに負けてはならぬと青田に励まされる。
これほどの子を思う愛情風景があろうか。決して珍しい場面ではないが今も昔も。
あなどるなかれ一ぱいの米。川柳を考えることができるのも本を読む力をくれるのも一ぱいの米。
米を研ぎながら考える。貧しさとは何だろう。せめて心豊かに生きてみようと米を研ぎながら